明智光秀こそ救国のヒーローだった

<明智光秀 -正統を護った武将-> 

井尻千男[著] 海竜者[出版]

西欧のある哲学者が政治的粛清について面白いことを言っている。ときはスターリンの独裁時代、なぜブハーリンは粛清されたのかについての推論である。権力を欲しがるものには権力を分け与えればよく、財力を欲しがる者には金銭を与えればよく、色欲の強い男には女を与えればよいのだが、ブハーリンはそのいずれにも関心を示さず、正義を欲した。独裁者にとってこれほど厄介なものはない。正義を独占してこそ独裁者たりうるからである。(中略) 天正元年(1573)に室町幕府を倒し、朝倉義景と浅井長政を滅ぼした信長は独裁的権力を固めつつあった。正親町(おおぎまち)天皇に対する退位要求もそのころから始まる。(中略) こういうときに権力の分配にも財力の分与にも関心を示さず、ひたすら正義と古典的美意識を求める武将がいたらどうなるか。美的秩序と政治体制は深いところでつながっているとせねばならない。信長が光秀を粛清することだってありえただろうが、光秀のほうが一瞬早く行動を起こした。それが本能寺の変の本質的構造だろう。もしそれが逆だったら、我が国の国体が危機に瀕したことだろう。

※国体:我が日本とは何をもって日本たりうるのか。日本国を日本国たらしめる根本原理。南北朝時代に南朝の忠臣、北畠親房(きたばたけちかふさ)が『神皇正統記(じんのうしょうとうき)』の冒頭で「おおやまとはかみのくになり」と書き記しているが、これこそが日本国成立の根本原理である。

日本の偉人として誰が一番好きかという回答に織田信長を挙げる人は多い。それは主に、中世的権威を否定して日本の近世を招いた開拓者としての英雄、あの時代に於いては類まれなる合理主義者としての側面を評価してのことだろう。

しかしもし、その織田信長を明智光秀が討ち損じていたら、今の日本国はありえなかったかもしれない。信長は我が国の天皇を廃位し、自らがその地位に就こうとした、いわば大陸の易姓革命を我が国で行おうとした人物であった。

明智光秀は主君信長を討った謀反人であり、本能寺の変とは三日天下に終わった明智のクーデーターであるというのが今の日本での認識であろうが、謀反人との汚辱にまみれた光秀の本意は何だったのか。なぜ、彼は主君、織田信長を討たざるを得なかったのか。その明智光秀の心中をおもんばかり、かつ、我が国の政治的美学とは何かについての考察を行ったのが本書である。

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