非を認めることは「負け」じゃない

※岸見先生の「嫌われる勇気」の要約です。私自身のアドラー心理学理解のためにやっていることです。私の理解により見出しや文章は一部変更していることをあらかじめご了承ください。

もしも面罵されたなら、その人の持つ「目的」を考えるのです。相手の言動に本気で腹が立ったときには、相手が「権力争い」を挑んできているのだと考えてください。

「権力争い」の目的は、相手に勝つこと、勝つことで自らの力を証明したいのです。しかし、権力争いを挑まれたときには、絶対に乗ってはなりません。仮にあなたが相手から挑まれた言い争いに勝ったとしても、敗れた相手は別の場所、別の形で何かしらの「復讐」を画策し、報復行為にでます。

相手が戦いを挑んできたら、そしてそれが権力争いだと察知したら、いち早く戦いから降りること。相手のアクションに対してリアクションを返さないことが重要です。怒るのではなく、「怒りという道具に頼る必要はない」ことを学びましょう。

権力争いについてはもうひとつ。いくら自分が正しいと思えた場合であっても、それを理由に相手を非難しないようにしましょう。ここは多くの人が陥る、対人関係の罠です。人は対人関係のなかで「私は正しいのだ」と確信した瞬間、すでに権力争いに足を踏み入れているのです。

そもそも主張の正しさは、勝ち負けとは関係ありません。あなたが正しいと思うのなら、他の人がどんな意見であれ、そこで完結するべき話です。ところが多くの人は権力争いに突入し、相手を屈服させようとする。だからこそ、「自分の誤りをみとめること」を、そのまま「負けを認めること」と考えてしまうわけです。

誤りを認めること、謝罪の言葉を述べること、権力争いから降りること、これらはいずれも「負け」ではありません。

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