承認欲求を否定し、他者の課題は切り捨てよ

※岸見一郎先生の著作、「嫌われる勇気」の要約です。私自身のアドラー理解のためにやっていることですので、私の理解により見出しや文章は一部変更していることをあらかじめご了承ください。

われわれは「他者の期待を満たすために生きているのではない」のです。あなたは他者の期待を満たすために生きているのではないし、私も他者の期待を満たすために生きているのではない、他者の期待など、満たす必要はないのです。他者からの承認を求め、他者からの評価ばかりを気にしていると、最終的には他者の人生を生きることになります。

そして、覚えておいてください。もしもあなたが「他者の期待を満たすために生きているのではない」のだとしたら、他者もまた「あなたの期待を満たすために生きているのではない」のです。相手が自分の思い通りに動いてくれなくても、怒ってはいけません。それが当たり前なのです。

われわれは「これは誰の課題なのか?」という視点から、自分の課題と他者の課題とを分離していく必要があるのです。そして、他者の課題には踏み込まない。およそあらゆる対人関係のトラブルは、他者の課題に土足で踏み込むこと—あるいは自分の課題に土足で踏み込まれること—によって引き起こされます。誰の課題かを見分ける方法はシンプルです。「その選択によってもたらされる結末を最終的に引き受けるのは誰か?」を考えてください。

たとえば、アドラー心理学のカウンセリングでは、相談者が変わるか変わらないかは、カウンセラーの課題ではないと考えます。カウンセリングを受けた結果、相談者がどのような決心を下すのか、ライフスタイルを変えるのか、それとも変えないのか。これは相談者本人の課題であり、カウンセラーはそこに介入できないのです。無論、精一杯の援助はします。しかし、その先までは踏み込めない。「馬を水辺に連れて行くことはできるが、水を吞ませることはできない」 本人の意向を無視して「変わること」を強要したところで、あとで強烈な反動がやってくるだけです。自分を変えることができるのは、自分しかいません。

そして、信じるという行為もまた、課題の分離なのです。相手のことを信じること、これはあなたの課題です。しかし、あなたの期待や信頼に対して相手がどう動くかは、他者の課題なのです。たとえ相手が自分の希望どおりに動いてくれなかったとしてもなお、信じることができるか。愛することができるか。アドラーの言う「愛のタスク」には、そこまでの問いかけが含まれています。

他者の課題に介入すること、他者の課題を抱え込んでしまうことは、自らの人生を重く苦しいものにしてしまいます。もしも人生に悩み苦しんでいるとしたら—その悩みは対人関係なのですから—まずは、「ここから先は自分の課題ではない」という境界線を知りましょう。そして他者の課題は切り捨てる。それが人生の荷物を軽くし、人生をシンプルなものにする第一歩です。

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