感情を手放すとは、それが無いことにすることではありません

<セドナメソッド 人生を変える一番シンプルな方法>

ヘイル・ドゥオスキン[著] 安藤理[監修] 乾真由美[訳] 主婦の友社[出版]

(P6)この本のキーワードである「手放す」(英語では let go)という語の意味について補足しておきます。この言葉を、否定的な感情を持たなくなる、捨て去ってしまうなどの状態になる必要がある、と解釈してしまうと、それはとても難しいことに思われるかもしれません。本文のなかでは、握っているペンを離すのと同じようなことだ、と説明されています。しがみついたりかかえこんだりしている感情を、いったん離してみるというニュアンスです。

お釈迦様も法華経方便品で「舎利佛よ、わたしが仏に成って以来、いろいろな因縁やさまざまなたとえ話を用いて、人々をもろもろの執着から離れさせた。」とおっしゃられているように、「執着」(=感情)を「手放す」ことが、心の平安にはなによりも肝要なのです。

執着は手放すのであって、無理やり忘れようとしたり、押し殺してしまうことではありません。悪い感情を、それが無いことにするという意味だとしたら、私はポジティブ思考というのはあんまり良くないと思います。

私が好きな話のひとつに以下のようなものがあります。どこで聞いたか今では思い出せないのですが・・・。

和尚様とその弟子が川沿いの道を歩いていた時、川に身を投げたと思われる、うら若い女性が流されて来ました。和尚様とその弟子は、川に入り女性を助けるのですが、川の水の流れで女性の衣服ははだけていて、弟子は目のやり場に困惑してしまいました。二人はそれでも、なんとか女性を岸まで引き上げ、女性の命は助かったのですが・・・。

弟子が和尚様に言います。「和尚様、私は戒律に違反してしまいました。常日頃から女性(にょしょう)に触れてはならぬという和尚様からの戒律に、さきほど、こともあろうに、和尚様とともに違反してしまいました。私はどうすればいいのでしょうか?」

和尚様はそれに対してこうおっしゃいました。「おや、おまえはそんなことをまだ覚えていたのか? わしはとっくの昔に忘れていたぞ。」

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