人間は何を知りうるのか

<カント『純粋理性批判』入門>

黒崎政男[著] 講談社選書メチエ[出版]

時間・空間という直観も、カテゴリーという概念(例えば、因果関係)も、すべては<人間>の認識に特有なものである。つまり、時空も因果関係も、人間の人間の認識の都合なのであって、「世界そのものの成立」にそれが関わっているのではなく、人間「認識の成立」にそれらが関わっているのである。きわめてくどいようだが、もう一度だけくりかえしておく。時間・空間、そして因果関係などは(通常は)、人間の存在に関わらず、世界そのものが成立するための条件だと考えられている。人間がいなくとも、時間・空間はあるし、因果関係も、世界そのものの側に属する法則である、と考えられている。カントは、否!と言う。それらは、人間が世界を認識するための<主観的>条件であって、我々の認識を離れてはそれらは無なのである。

カント哲学の白眉とも言うべき部分です。なんとこの世界、この宇宙には、時間・空間、因果律などどいうものは無い。それはあくまで人間が作り出したものなのだ。いや、作り出したと言うよりも、もっと厳密に言うならば、人間が考えるときには必然的に時間・空間、因果律などの枠内(←これがカテゴリーという概念)で考えてしまわざるを得ないということです。

これは例えてみれば、電磁波のうち波長が360nm~750nmのものを光と呼び、その光を波長によって赤、青、緑と見分けていることに似ている。360nm~750nmの電磁波は電磁波というだけであり、それが光であったり、ましてや赤や青や緑であるというのは人間の都合に他ならない。

つまり、認識に於いて人間とはまったく異なるカテゴリーを持つ別種の生き物がいたら、もしかしたら彼らには時間・空間・因果律などは認識されない(それが何であるか理解することすらできない)かもしれない。

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