稲作が朝鮮半島から来たなんて嘘っぱち

<日本人ルーツの謎を解く> 

長浜浩明[著] 展転社[出版]

我が国の水稲・温帯ジャポニカは何処からやって来たのか。そのカギが(佐藤洋一郎)氏の(イネの)DNA研究から得られており、次に要点のみ記しておく。

『日本列島への水稲の渡来がどう進行したかを知るために、私は中国、朝鮮半島、日本列島の水稲在来種250種のSSR多型(コメの遺伝子特定領域の遺伝子配列の変形版)を調べてみた。・・・この250種の中には8つの変形版が見つかった。これらにはaからhまでの名称が付けられている・・・この変形版がどこに分布しているかを調べてみると、面白いことに気が付く。中国や朝鮮半島には8種類のほとんどの変形版が存在するのに、日本の品種の多くはaまたはbに限られている。aからhのタイプが”中立”(何世代経過しても変化しないこと)であることを考えると、種類の減少(大陸と朝鮮半島では8種類に対して、日本では2種類であること)は、日本列島に運んでこられた水稲の量がわずかだったという推論を導く。』

すなわち、「弥生時代に多量の水稲が伝えられたという説には、疑問が生ずる」とした。多量の渡来民がイネを持って日本に押し寄せたなら、彼の地(朝鮮半島)同様、aからhタイプがイネに残っていても良さそうなのに、それが見当たらないからだ。しかも、前述の8つの変形版のうち、「b変形版」のイネは朝鮮半島には存在しないから、仮に水稲が朝鮮半島から来たのなら「b変形版」のイネは日本に存在しないはずである。だが、この(「b変形版」の)イネは、最初の渡来地とされた北九州をはじめ、日本列島にくまなく広がっている。

上記のようにおコメの遺伝子の調査から見て、朝鮮半島から日本列島に水稲栽培が伝えられた可能性はゼロなのにもかかわらず、なぜか日本にはおコメは朝鮮半島からもたらされたとしないと気が済まない先生方がたくさんいらっしゃる。先生方がこんな風だから、真面目で勉強熱心で先生の言うことを良く聞く生徒ほど、間違ったことを憶えて信じるという「真面目な馬鹿の拡大再生産」が日本の学校教育の現場で行われる。

土器についても、最近の研究では「炭素14年代法」を改良した実年代法が確立し、作られた年代を正確に知ることができるようになった。その結果は驚くべきもので、縄文土器(青森県大平山元I遺跡の無文土器)は、世界最古の土器(16000年前)であることが判明した。しかし、考古学学会では、「そんなに古くては大陸の土器よりも古くなってしまう、日本の土器が世界最古ではあるはずがない」と言う摩訶不思議な理由で、改良型「炭素14年代法」の測定結果を過小評価する傾向があるそうだ。このような学者先生は、まさに「曲学阿世」の徒と言わざるを得ない。

日本人は、もともと日本列島に住んでいた縄文人に朝鮮半島から流れて来た高い文化を持った移民が入って成立したわけではなく、事実はむしろその逆だ。日本人は世界でも最古の縄文文明を持った民族で、古くは海を渡り朝鮮半島の南部にまでその交易と居住の範囲を広げていたのだ。

※曲学阿世(きょくがくあせい):学問の真理にそむいて時代の好みにおもねり、世間に気に入られるような説を唱えること。真理を曲げて、世間や時勢に迎合する言動をすること。▽「曲学」は真理を曲げた正道によらない学問。「阿世」は世におもねる意。「阿」はへつらいおもねる意。【goo辞書】

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